私の好きなモノ

ギョウザ  
 私は、ギョウザが好きである。子供の頃から、他を引き離して好きな食べ物ダントツNO.1である。

 母が「あたしは、料理不得意だから」と言って、毎週日替わりで決まったおかずを作っていて、そのうちの一つが、ギョウザだった。ちなみに他にはトンカツ、コロッケ等々だったので、これらも好物だ。だから1週間に1回ギョウザを食べていたのだが、ギョウザの皮の中判1袋(24枚)分しか作らないので、いつも欲求不満だった。その反動で、今では大判の皮2袋(40枚)いっぺんに作って一人で食べている。小さい頃から、具をこねて皮に包むのが、自分の当番だったので、今は野菜を刻むのと、焼いて蒸すのが増えただけである。ギョウザ作りで一番面倒なのは、こねて包むことだと思うので、小さい頃からこれだけやってて本当によかったと思う。

 さて、私の作るギョウザは極めてシンプルである。具の材料は、挽肉、キャベツ、ニラだけだ。一時いろいろ入れてみたが、結局はこれで十分という結論に達した。キャベツ、ニラをみじん切りにして、挽肉と混ぜ、塩コショウとゴマ油で下味をつけて、皮に包み、フライパンで焼いて、焦げ目がついたところで水を入れて、ふたをして蒸す。たったこれだけだ。但し、野菜と肉の比率が半々になる様に気をつけなければいけない。

 自分で作るのも好きだが、ラーメン屋に行けば、必ずギョウザを注文する。しかし、これだと言うギョウザはなかなかないものだ。今はなくなってしまった、神田「鬼ラーメン」のギョウザと好きな店で紹介している松本の「ばんぶう」くらいなものだろうか。後は自分のギョウザを食べてた方がいいなあと思う物ばかりである。自分で作って、自分で食べてうまいというのもなんなのだが、私のギョウザを食べた人が6、7人いるがみんなおいしいと言ってくれた。シンプル・イズ・ベストで作っているギョウザなんだが、誉めてもらうとうれしいものだ。

 さて、ギョウザのよさとはなんだろう。ギョウザの皮は小麦粉、いわばパンのようなものだ。そこに肉と野菜を包み込むのだから、ハンバーガーあるいは巻きずしのようなもの。つまり、それ自体で完結した食べ物なのだ。本当は水餃子なら、そこにスープがついて、完全になるのだが、私は焼いて蒸したギョウザが好きだ。これからもたまに気が向いたらギョウザを作ってたらふく食べようと思う。(平成14年4月)

ギョウザ

自作のギョウザ。ちょっとぶれちゃった。フラッシュ焚いた奴はみんな光っちゃって。

長野の冬  
 まだ、夏なんですが、長野の冬はもうじきやってきます。夏だって、東京の半分しか湿度がないから、我々東京人にとっては暑さも大したことないんだけど、ご当地の人には、今年の夏は結構堪えたみたい。さて、もうこれからは寝るときにクーラーがいらない季節。そして、気が付いたら冬。11月の末にはもう、1500m超のところへはうかつに行けないし、12月頭にはスタッドレス履かないと。長野市内なんか、夜は普通マイナス3度くらいだし、茅野や岡谷、佐久へ行ったら、マイナス10度が普通。朝はへたするとマイナス20度まで行きます。

 それでも、昨冬は暖冬でたいしたことなかったんだけど。今年は、夏が異常に暑かったから、こういう年は、強烈に寒いとご当地の人は言っています。そして、飯山、栄村、信濃町、白馬等の豪雪地帯。2mは当たり前。一面雪で、降ってる最中はどこが道路だかわからないという、恐怖の白い世界。しかし、千葉に住んでいたら絶対に経験できない冬。4WDやスタッドレスタイヤのありがたみが、しみじみと分かります。ほんっと、長野に行かなかったら、素晴らしい道具、スタッドレスタイヤの凄さは分からなかったでしょう。

 写真は昨年の1月栄村(新潟県境)の森宮野原駅前でとった楽しい雪国の写真です。今年は、長野で迎える最後の冬、そして、住み始めて2度目の冬。去年慣れたからと言って油断は出来ません。凍死しないように頑張らなくっちゃ。(平成11年9月、平成12年9月修正)

豪雪

雪に埋もれる森宮野原駅前

高速バス  
 私は、高速バスが好きである。遠くは学生時代にドリーム号で京都へ往復して以来だが、最近でも、福岡から14時間半かけて、東京まで深夜バスで帰ってくるなどという、学生顔負けのことをやってのけている。

 10数年前は乗っているのはほとんど若い男だったが、最近じゃあ、どんなコースでも半分以上女の子である。日本がいかに安全な国かの見本のようなものである。そう言えば、知人(笑)の21才のおねえちゃんも父親の住む富山へ夜行バスで行っている。数年前伊勢に行くのに名古屋までドリーム号に乗ったとき、最終の新幹線に乗り遅れたおじさんが、私の隣に座り、こんな便利な交通手段があったのかとしきりに感心していた。今では、女の子の次に中年のおっさんが多い。

 連休中、長野の自室で過ごすため、西武・長電の昼間の高速バスを利用したのだが、帰路のバスは今シーズン最後のスキー渋滞に巻き込まれ、普通3時間半のところ5時間半かかってしまった。隣に座ってたおっさんは、携帯で家族と電話しながら、ぶつぶつ言っていたが、そもそも長野6時半発で新幹線なんか腐るほどあるのだから、遅れるのがいやなら、端から新幹線に乗ればよいのである。新幹線の半額近い料金で乗るのだから、時間をとやかく言ってたら始まらない。

 中学卒業以来20年近く、年に2、3冊しか本を読まなかった旅人だが、昨年暮れに国民の歴史を読んで以来、突然読書にはまり、今年に入って井沢元彦だけで「逆説の日本史」(1)〜(5)、「穢れと茶碗」、「天皇になろうとした将軍」、「言霊の国解体白書」「歴史if物語」と9冊、他の本も併せると、11冊も読んでいる。異常なペースである。高速バスは本を読むのにちょうど良い。新幹線は1時間半で東京に着いてしまい、ちょっと寝たらもう着いてしまう。高速バスは、ちょっと寝て、また起きて本を読んでという時間が十分ある。まして夜行バスならなおさらで、私のような住所不定の人間にとって、1泊の宿と1000kmの移動と本を読む時間を提供してもらって福岡東京15000円は格安と言える。但し、どこでも寝られる神経と、ちょっとくらい暗くて、少しくらい揺れていても本を読める視力が必要であるが。

 そうしたことから、私はこれからも高速バスを使い続けるだろう。体力の続く限り。(平成12年4月)

座席表

高速バスの座席表

女の子のいる店で飲む酒はなぜうまいか  
 世の中には女の子のいるお店というのが、上は銀座の高級クラブから、真ん中のキャバクラ・ニュークラブを経て、下は場末のスナックまでいろいろとある。こう書くと、三三七拍子のみっちゃんあたりは「どうせ、うちは場末のスナックだよ」と怒りそうだが、ちなみに私はスナック派である。なんたって安い。もちろん、クラブと比べての話だが、1/3以下だろう。しかし、値段が問題なのではない。安いに越したことはないが、面白くなければ当然酒もまずいのである。

 ちなみに私は酒が大好きな人間のように誤解されているが、私は酒は嫌いだ。何故酒を飲むかといえば、それはもう小さい頃からの習慣としか言いようがない。少なくとも幼稚園に入る前から、あまりお酒を飲まない大人と同じくらいの量は飲んでいたのである。酒はそれが日本酒でも、ビールでも焼酎でもウィスキーでもそれだけではうまいとは思わない。酒は絶対雰囲気で飲むものである。

 では、どんなときに飲む酒がうまいか。それは一つは楽しい仲間と飲む酒であり、或いはかわいいおねえちゃんと飲む酒である。酒は雰囲気以外の何者でもないと私は思う。

 さて、私はキャバクラ或いは1ランク上のクラブといった飲み屋が嫌いである。そこにはきれいな女はいる可能性が高いが必ずしもかわいくないからである。男女差別反対論者から見ると危険思想のようだが、きれいとかわいいは本質的に次元の違うものである。

 さて、女の子のいる店で飲む酒は何故うまいか。女の子が酒の味をいかようにも変えるのである。嫌いな女と酒を飲む人はあまりいないが、好きな女と飲む酒は基本的にうまい。ワインとかシャンパンとか気取らなくても、普通の水割りが甘い酒に変わるのである。私は人見知りなので、一見で入った店では最初はうまくない。しかし、2度3度と通う内にその店の女の子と話も出来るようになり、疑似恋愛状態となり、同じハーパーの味が全然違ってくるのである。完全に気に入ってしまうと、ただその店に行って気に入った女の子の顔を見て、黙って飲んでいるだけでもういい気分になってしまうのである。それが、三三七拍子のみっちゃんでありフェニックスの麻美ちゃんであり、他にもたくさんいるが酒の味を変える女の子達なのである。(平成11年11月、平成12年9月修正)

好きな店のアンジー店内と地図

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